2025.08.01 No.301「キヨちゃん、ねーさん」
「キヨちゃん」「ねーさん」と互いを呼び合う、仲の良い姉妹。戦争で両親を亡くし、幼い頃から苦労を共にしてきた四人きょうだい。長女だった叔母は、兄妹たちの親代わりとなり、大変な苦労を重ねてきたそうです。
年を重ねてからも、お互いを思いやり、尊重し合う姉妹の関係は変わることなく、ずっと仲睦まじく過ごしていました。
ときどき叔母が我が家に遊びに来ると、母が「ねーさんは、朝早くから夜遅くまで本当に働き者だね」と心から敬意を込めて話しているのが、会話の端々から伝わってきました。
叔母が60歳のとき、脳梗塞で倒れたことがありました。その時、母が涙ぐみながら、姉の無事を祈っていた姿を、今でもはっきりと覚えています。
私が幼い頃、母が入院したことがあり、約一か月の間、叔母に面倒を見てもらいました。季節は夏。家族と離れて、慣れない叔父の家で暮らすことになった私は、不安の中で過ごしていました。
しかし、そのときの思い出は、半世紀経った今でも鮮明に心に残っています。
叔父が運転する耕運機に連結されたリヤカーに叔母と私が乗って、ガタガタ道を田んぼへ向かったこと。叔母は、私が落ちないようにと、手をしっかり握ってくれていました。
庭で育った真っ赤なトマトが熟すと、叔母はそれをもいで、もんぺの腿のあたりでキュッと拭き、「ほら、マサユキちゃん、かぶりつきな」と笑顔で差し出してくれたことも、忘れられません。
いつも穏やかで、誰に対しても優しい人でした。
先日、その叔母(母の姉)が、95歳の生涯を静かに終えました。
年を重ねても畑仕事に励んでいた叔母の顔は、こんがりと日焼けしていましたが、旅立つ前には、頬にうっすらと紅がさされ、きれいにお化粧が施されていました。
前夜、どうしても亡骸にお礼を伝えたくて、私は叔母の顔をじっと見つめながら、これまでの感謝の気持ちを静かに伝えてきました。
現在、施設で暮らしている母は、姉の葬儀に参列することができませんでした。姉のことを心から慕っていた母だけに、その寂しさは計り知れず、私も心配しています。
子どもの頃から私にたくさんの愛情を注いでくれた叔母。どんなときも優しく見守ってくれたその姿を、私は一生忘れません。
長い間、本当にありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。
