2026.11.01 No.316「野沢菜漬けに思う、懐かしき信州の秋」
秋も終盤を迎え、少し厚手の上着が恋しい季節となりました。自宅の窓から眺める上田城跡公園の木々も、山吹色や朱色に染まり始め、これからしばらくは日々移り変わる紅葉を楽しめそうです。
毎年この時期になると、母が野沢菜を漬けていた頃のことを思い出します。
日曜日の朝早く、父は菜っ葉切り包丁を車に積み、親戚の家へ野沢菜の収穫を手伝いに出かけました。その報酬は、好きなだけ持ち帰ってよいという野沢菜でした。夕方、父が帰ってくると、サニーバンの荷台には野沢菜が隙間なくぎゅうぎゅうに積み込まれていました。
それからが、わが家の野沢菜漬けの始まりです。
父は倉庫から大きな漬物樽を二つ引っ張り出し、きれいに洗う係。母は長いホースを水道の蛇口につなぎ、野沢菜を一束一束、丁寧に洗っていきます。11月ともなれば水道水は冷たく、ゴム手袋をしていても手がかじかむほどだったでしょう。ちょろちょろと流れる水で大量の野沢菜を洗うのですから、今思えば、ずいぶん根気のいる仕事だったに違いありません。
ここまでは、昨日のことのように鮮明に覚えています。
ところが、肝心の漬け方となると、まったく記憶がありません。当時の私は、家の手伝いよりも友達と遊ぶことに夢中でした。母がどのくらい塩を振り、どんな加減で重石を載せていたのか、今となっては知るすべもありません。
「あの時、母に野沢菜漬けのコツを教わっておけばよかった」
そんな後悔が、年を重ねるごとに募ります。
やがて食卓には、母が漬けた野沢菜が並びました。「今年はちょっとしょっぱかったね」「今年は上手に漬かったね」。そんな何気ない会話を交わしながら、家族で食卓を囲んだものです。今思えば、野沢菜漬けは単なる冬の保存食ではなく、家族の暮らしそのものだったのでしょう。
ところで、南国宮崎で生まれ育った妻には、野沢菜漬けを食べる習慣がありません。そのため、野沢菜と高菜の違いも、いまひとつピンとこないようです。信州では当たり前の野沢菜漬けも、九州では高菜漬けの方がなじみ深いのでしょう。同じ日本で生まれ育っても、土地が違えば食卓に並ぶ漬物も違う。そんなところにも、日本の食文化の豊かさを感じます。
最近では、スーパーに行けば一年中、手軽に野沢菜漬けを買うことができます。便利になった一方で、家族総出で冬支度をする光景は、少しずつ見られなくなっているのかもしれません。
窓の向こうでは、上田城跡公園の木々が秋の日差しを浴びて輝いています。
あの頃、母が冷たい水に手を浸しながら漬けてくれた野沢菜の味。そして、食卓を囲んだ家族の笑い声。
紅葉が深まるたびに思い出すのは、そんな懐かしい信州の秋の風景です。


